2017/01/15

新たな遭遇

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どす黒い波がすさまじい勢いで人家をさらってゆく。どこかの屋根の上からだろうか、春利はその様子を見守っている。両手を挙げ、叫びながら呑みこまれてゆく人に手を差し伸べようとして、自ら荒れ狂う海へ転落していった。

真夜中に目を覚ますと冷たい感触が伝わって来た。暗闇の中で上半身を起こし、両手を挙げて助けを求めていたのは誰だろうか。来未のようにも思われたが、そうでないかもしれなかった。

春利は起き上がり、電気を点けてパソコンの電源ボタンを押した。 タオル地のハンカチで体の汗を拭き、ネット画面が立ち上がるのを待った。

2011年3月、東日本大震災で行方不明になった人を検索した。その後新たに見つかったいわき市の人はいるだろうか。

2012年3月では、福島県での死者は1605名、行方不明者は214名で、いわき市だけでは37名。それが1年後の2013年では、1606名、211名、そして、いわき市だけの行方不明者数は、0名となっていた。

さらに2014年は、1607、207、0。福島県内の死者は1名ずつ増え、行方不明者は減り、いわき市内の行方不明者は無くなった。

その後の消息が分からない来未や両親それに来未の友達・春海は、いったいどうなってしまったのだ。梨花が、その後何か分かったことはないかと帰省したが駄目だった、と小声で春利に言ったのは2カ月ほど前だったろうか。

疑問が膨れ上がった春利は、さらに調べつづけた。すると、行方不明者の考え方は、総務省統計局と警察庁では異なるとある。全国では2万人近い死者・行方不明者を出した震災だが、神奈川県より西のエリアでは死者・行方不明者はいない。来未の両親と友達の春海は福島県に住んでいたが、震災のあの日いわき市に帰省した来未は、職場がある名古屋に住民票を移していただろうか。

検索を絞り込むと、年を追うごとに遺体が見つかっても、損傷が激しかったり腐敗が進み、部分遺体も多くなっているということが分かった。そうなると、歯型確認やDNA鑑定でも、死体検案書には、「不詳」と書かれ、「身元不明遺体」となってしまう場合が多いのだという。

春利は、夜が明けるまでもう少し眠ろうと思った。ベッドに戻り眼をつむった。シャンハイの公園で、来未と春海が桜の木の上に現れたのは現実だったのか夢だったのか、あるいは、やはり別の空間を垣間見たのか。

To Be Continued

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