2011/10/17

ベンチの後ろには大きな桜の古木があったが、桜の開花シーズンを過ぎると忘れられた黒い塊としか映らなかった。
そこから5メートルほど車道に沿って続くなだらかな坂の歩道を上がった所に、ここ1年以内に地上1メートルほどの高さのポールに設置された常夜灯があった。

桑田は買い物帰りに管理事務所前を通った折、あれ、いつの間にできたんだろう、と驚いた。事務所前の広場に、ところどころ穴が掘られていることは見ていたが、そのあたりで続いている水道管の取り換え工事の一環くらいに思っていた。

背後から桑田の足元を照らしているのはその明かりだった。
明りの中の小さな黒い点に桑田は最初ぼんやりと視線を向けていたが、やがてかすかに動くそれをはっきりと認識した。

蟻は一匹だけだった。この季節にいったい何をしているのだろう。働き蟻に違いないが、一匹だけでこの時間に。

桑田はその蟻をみつめた。右に行ったり左に行ったり、非常にゆっくりだった。冬籠りのために、今頃えさを探し回っているのだろうか。

桑田はこの蟻に仕組まれているDNAのことを思った。プログラムされた通りに動いている。蟻には孤独という感情がないのだろうか。

桑田は、さびしいひとり暮らしにも慣れていたが、それでも、妻や息子のことを思い涙を流すことがあった。
一匹だけで自らの使命だけを果たすために動き回っている。何の報酬を期待することもなく、やがて訪れる死の瞬間まで、何の疑問も抱かずにそうやって・・。

歩いている間は暖かかった身体も、膝から下が冷えて痺れてきた。
上のほうから下ってくる足音に、桑田は手提げ袋を引き寄せてゆっくりと立ち上がった。手提げ袋にはスーパーから買ってきたその日の夕食と翌朝の食糧が入っていた。

急いで帰っても誰も待っているわけではないが、そうする以外に方法がなかった。食べなければ、体が弱っていくことは本能的に実感された。


To Be Continued

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