2015/06/10

別な空間

喫茶店を後にした二人は、今度は横浜駅の東口へ向かった。日曜のその時間は西口より東口の方が空いているかもしれないとの荘太の意見に従った。

地下街へと階段を下りていき、数件当たると中華料理店の前に立っていた店員が、「お二人ですね。大丈夫ですよ」と誘いの言葉を投げかけてきた。歩き回るのも大変だから、と、父に合わせて中へ入った。

ちょっと早い夕食をすませた二人はJRの改札前で別れた。

春利はふたたび西口へ戻り、あざみ野と湘南台を結ぶ市営地下鉄ブルーラインに乗った。下車駅を一駅やり過ごして、岸根公園駅で下車した。少し歩いて帰りたかった。春利の足で寄り道しなければ徒歩で30分余りで住まいに着く。小学校の低学年の頃、母ともいくどか来たことのある公園だった。

上海から戻り、現在の公団の分譲に塾を兼ねて住むようになり、塾の仕事がない日は散歩がてら立ち寄ることがある憩いの場でもあった。その広い公園は、1940年に防災緑地を兼ねた場所として整備が始まったが、戦時中は軍の基地で、戦後は米軍に接収され、1970年代になってようやく接収解除にともなって整備されたということを聞いたのは、数か月前のことだった。

犬の散歩で来ていたお年寄りと偶然中央広場のベンチで隣り合わせたのだ。杖をつきながら、ゆっくりゆっくりやって来た。犬は老人の足下に座って尻尾をふっていた。

「わしも天涯孤独でね。この齢になると、近所に知った人もなくてね。この犬と暮らしていて、週に二度ヘルパーさんが来てくれるんだ」

あ、そうですか、と春利が相槌を打っていると、いつの間にか公園のことに話が及んだのだった。

話しが一段落すると、老人は杖をついてゆっくりと立ち上がり、「では、もう少し犬の散歩をして」と、春利とは反対方向へ歩いて行った。

春利は、一面に草の生えた「ひょうたん原っぱ」と呼ばれている広い平地を歩いていた。周囲には常緑樹の古木や背の低い木々も生い茂っていた。ところどころにベンチが並べられていて、犬の散歩で疲れた人が休んでいた。

家族連れでやって来て、キャッチボールやバトミントン、サッカーボールを蹴っている子供たちも、辺りが暗くなってきたことで帰り支度を始めている。

春利は、藪蚊が少なそうなベンチをめがけて歩いて行った。まだ帰りたくなかった。避けて通れない、何かが起こりそうな予感がした。

To Be Continued

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