2014/03/30

武蔵野桜まつり

翌朝家を出たミナは、地下鉄北大路駅まで歩き、そこで待機していた市バスに乗った。急いで歩いてきたこともあり、レギンスに長袖では汗ばむほどだった。講師をしている大学も上賀茂神社も少し時間をかければ歩いて行かれない距離ではない。

「上賀茂神社」は、京都で一番古い神社で世界文化遺産に登録されていることも知っていた。公園で伝えてきたのは誰かは分からないけれど、私が住んでいるマンションのことも当然知っているに違いない。

「上賀茂御薗橋」で降りたミナは、10分ほど歩いて上賀茂神社に着いた。7時前の始発バスの乗客は6人だったが、神社へ行く人はミナだけだった。平日でも朝早くから訪れる人も多いかもしれないと思ったが、空いているかもしれない。

ミナは朱色の一の鳥居の前まで行った。右側に式年遷宮を報せる案内板がある。

ミナは鳥居をくぐった。前方の斎王桜はほぼ満開で垂れ下がって咲いている。空は晴れ渡っている。

道はまっすぐ伸びていて、行き着いた辺りに朱色の二の鳥居が常緑樹の森の前に小さく見える。側で咲いているのは、みあれ桜だろうか。人が歩いているのが分かる。

「一と二の間の道をゆっくり歩きなさい。光の窓が現れたら、そこへ這入りなさい」ミナは昨日公園で頭に直接話しかけてきた言葉を反芻した。

誰か来ているだろうかと振り返ったが誰もいなかった。土解祭(とげさい)は、午前10時からだと昨夜ネットで観た。

とにかくゆっくり歩いて行こう。側で見ている人にはどんなふうに見えるのか、ミナもそうした状況に出合ったことはなかったが、見られるものなら見てみたいという好奇心はあった。現在読んでいる異星人との交流を書いた本でも、次元や空間の移動についての具体的なことは書かれていなかった。リトル・グレイとかトール・ホワイトと呼ばれているエイリアンたちは、どのようにして別の空間へ移動するのか。

ミナは、心臓の鼓動を感じながら歩を進めていった。

To Be Continued

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2014/03/28

武蔵野桜まつり

ミナは、公園にいる人の方を見た。

そこには、いつの間にか10人ほどが集っていたが、ミナが聞いた声には誰も反応していなかった。ミナにしか届いていないらしい。

雲間からの陽射しが地面を明るくしていたが、仰いでも物体らしきものは確認できなかった。雲に隠れているか、防御スクリーンで姿を見えなくしているに違いない。

「今は人も大勢いるし・・」

「もしよければ、今から教える場所からは、あの二人がいるところへ自由に移動できると思うが」

「自由に移動できる?」

「そう。上賀茂神社・・」

ミナは立ち上がり歩道へ出た。

それにしても、私に直接話しかけてくるあの声の主は、私の行動や思っていることが分かっている。ミナは現在読んでいる本のことが頭に浮かんできた。ネバダ州空軍基地の近くで気象観測の仕事をしていた著者が、トール・ホワイトと呼ばれている背の高い異星人の家族との交流について書いていた。

宇宙には3800種類位の知的生命体がいるという人もいるが、地球に来ているエイリアンの20種類位が確認されていると読んだことがあった。

私にメッセージを送ってくるのはどの種だろうか。体外離脱で見たあの眼の大きな小さいエイリアンか・・。

春休みも残り4日だった。通りのスーパーで、とりあえず2食分ほどの買い物をしたミナは、翌朝早めに行ってみようと思った。

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2014/03/26

武蔵野桜まつり

京都に戻った翌日、ミナは本を読んでいたが、公園に行き、別の世界へ飛んで諏訪大社で二人の女性に会ったことが頭に浮かんでいた。あの公園にも桜の木があった。こちらの方が武蔵野より少し早く咲くのでは。昨日帰った時は暗かったから、通りの桜がどうだったか分からなかった。

昼食を済ますと、ミナは公園に行きたくなった。バッグに読みかけの本を入れた。ゆっくり歩いても、30分はかからない。公園までの道には寒桜もなかったと思う。

公園の見える所まで行くと、白髪で上品な女性高齢者が、孫と思われる男の子の手を引いて中へ入っていくのが見えた。

ミナは少しためらいながら入口まで行った。滑り台に幼児が二人いた。側で立った状態で母親が見守っている。

男の子が祖母の手から離れて馬の遊具にかけよった。「ゆうちゃん、ちょっと待ってね」と男の子を抱き上げて馬にまたがらせた。

ミナは桜の木の方へ向かった。木の下に空いたベンチが並んでいる。半分身体を木の方へ向けてベンチに掛けて見上げた。完全に開いている花が確認できる。12まで数えることが出来た。公園広場の反対側にもソメイヨシノがあった。そちらの木にも咲いていると思われる花が見える。バッグから携帯を取り出し、立ち上がって一番側に咲いている花に焦点を合わせた。

ベンチに座り、撮れた画像を確認する。ボタンを押し、武蔵野桜まつりのパレードを観た。トランペットと小太鼓の音がよみがえる。「ゆうちゃん、良いわねえ」先ほど馬にまたがった男の子がしきりに体をゆすっている。祖母が笑みを浮かべて見守る。

ミナは誰かと結婚して生まれたわが子を想像する。滑り台の幼児は、姉が弟と一緒に小さな階段を上っている。母親の掛け声が聞こえる。ふいに、諏訪大社で来未と春海という二人の女性に会った事を思い出す。地震による大津波で別の世界へ行ったという二人。

「きょうはあの二人に会いに行くつもりなの?」上の方からミナの頭に直接話しかけてくる声がした。

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2014/03/22

武蔵野桜まつり

3月の最終日に東京に帰ったミナは、両親のもとに一晩泊まり、翌日は武蔵野桜まつりを見に行った。

両親もミナを追うように、少し遅れてやって来た。

ソメイヨシノの開花は少し遅れていたが、中央通りを高校生のトワーリングバトン部と吹奏楽部が華やかなパレードを繰り広げてくれた。人の流れに沿ってしばらく沿道を歩いた。子供たちの歓声が上がる。近くに白いネズミのぬいぐるみがやってきた。

市民公園のステージでは、踊りが始まっていた。縁日広場の特産品、植木市、と一応両親に合わせて歩き回った。

ミナは両親と手をつないで歩いたころを思い出す。小学校に上がる前だったろうか、小学校の1、2年生だったろうか。記憶が前後する。

時計を見ると4時を回っていた。この間まですぐに暗くなったと思っていたが、やはり、確実に季節は巡っている。
 
「ミナ、今日帰るんだって」

「うん、これから」

父は何か言いたそうだったが、言葉にはしなかった。

「大学の仕事もあるんでしょう。あなた、それじゃあ、ミナ・・」

母の勧めに応じてイタリアン食堂で少し早い夕食を戴いた。

「また連絡するから」ミナそう言って手を振った。父の目が潤んだように見えた。

新幹線の車内で、乳児を抱いた女性が通路を挟んで座っていた。まだあどけなさが残っている。二十歳前かもしれないとミナは思う。

5月になれば私も33歳か。両親とも30過ぎのときに生まれた一人っ子の私だから、早く孫の顔を見たいと思っているに違いない。何か言われる前に、という思いで先ほど両親と別れて来たのではないといえば嘘になる。

窓外に目をやったミナの脳裏に、吹奏楽に合わせてバトンを回す姿が浮かび、トランペットの音色が耳の奥でよみがえる。

4月6日までの休み中に、原書で英文学の本を一冊読んでおきたいと思う。頭に直接話しかけてくる声。飛行物体の中にいたエイリアン。ミナの住む京都であの公園に行き、別の世界へ飛び、諏訪大社で二人の女性に会った。来未と春海、だったろうか、地震による大津波で別の世界へ行ったという二人。

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2014/03/13

父へ

連絡してくれてありがとう。メールを受け取った相手は、間違いなくあなたの息子の春利です。あれこれ考えていて、返事を出すのが遅れてしまいました。僕もお父さんを長いこと探していたのです。籍は違っても、血縁はつながっています。

実は、今週の木曜の午後に日本から上海に帰ったばかりです。それで、あのメールが届いていたので、驚いたのと、タイミングが悪かったと、残念に思いました。

昨年の2月、東日本大震災が起きる前に、会社の上司から言われ、決心して上海勤務になりました。僕も、もうすぐ30になるけど、まだ結婚はしていません。今度、機会をつくって会いたいと思っています。以下に、現在の住所と連絡先を記します。・・


桑田が春利からのメールを読んだのは、新横浜から帰ってすぐだった。何か予感があり、帰りに買ってきた夕食のための食材を冷蔵庫の前に置くと、すぐにパソコンを立ち上げた。

やっぱり春利だった。そうか、2月1日で春利は30歳になるんだ。桑田は窓の外に目を向け、過ぎ去った過去を追った。

涙で視界がぼやけた。すぐにも春利に会いたいと思った。話すことはいっぱいあるが、春利を前にしたら言葉が出てこないかもしれない。

立ち上がって窓の側へ行った。そうか、春利が上海に。桑田は、父が戦争で中国へいったことを思い出した。

UFOだったら上海など瞬時に行かれるだろうに。

それにしても、無事でいてくれてよかった。桑田は深く息を吸って吐き出した。ヒヨドリが梢から飛び立った。

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2014/03/08

新横浜駅で降りると、桑田は日産スタジアムの方へ向かって歩き出した。立ち止ると寒いので意識して早足で歩いた。円形のスタジアムが前方に見える。

携帯電話は持って出たが、インターネットに接続する契約はしていなかった。乱視の上に視力が落ち、小さな画面を見て文字入力するのは億劫だったから、携帯のメールアドレスを誰かに教えることはまれだった。フェイスブックで送った相手が、間違いなく春利だったら、携帯の電話番号とメールアドレスを教えたかったが、違う場合も考えられたので、パソコンの方に本人から届いたら送ろうと思った。何かあった時と思い一応バッグに入れてきたが、いつか携帯で春利と話したいと思った。

烏山川の側の公園に着いた。歩道の右端に手すりが続き、土手が斜めに下って川があり、左手には桜や常緑樹がまばらに生えていた。そこへ行くといつもそうであるように犬連れの人に出会った。若い人が多いのは、日曜だからかもしれない。桑田は等間隔で並んでいるベンチの一つに腰を下ろした。垂れ下がっている桜の小枝の先に、小さな蕾がいっぱい付いている。以前来た時に見かけた猫たちの姿が見えない。寒いからか、餌やりの人が来る時間ではないからか。

しばらくすると、辺りがパッと明るくなった。雲が大きく移動したのだろう。すると、スタジアムへと向かう広い西ゲート橋の上を一匹の白い子猫が早足で歩いているのが見えた。桑田はすっと立ち上がり、そちらへ向かって急いだ。見かけない子猫だった。飼い猫が来る場所ではなかった。誰かが最近捨てていったのだろうか。

桑田が橋を見渡せる所まで行った時、真っ白な子猫は、並んで立っている太いポールの一つの陰に隠れた。追いかけようと思ったが、子猫はポールの間に置かれている直方体の植木鉢の陰へ走り去った。桑田は追いかけるのを止めた。陽射しが暖かさを運んできた。

橋下のフットボールパークでは、子供たちがサッカーの練習をしていた。円柱形の太いガードパイプは陸橋の終点まで伸びている。金属製のそれは冷たいだろうと、手を掛けることはためらったが、広大な新横浜公園の向こうに西空が開けていた。

と、その時桑田は空の一点で光る物体を見た。乱視で視力が落ちていたが、太陽光線を反射して飛ぶ飛行機でもヘリコプターでもなかった。単なる球形ではなかった。光る球体の横に細長い柄のような何かが付いていた。昼前のその時間、人工衛星でもないだろうと思った。

次の瞬間、光る物体は見えなくなった。見えたのは、5、6秒だっただろうか。下方に雲が垂れ込めていたが、そちらへ行ったのか、しばらく見つづけたが、もう現れなかった。

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2014/03/06

桑田は、フェイスブックのあれは間違いなく春利に違いないとは思ったが、送信してから不安が募った。

一つは、別人が「沢春利」の名でフェイスブックに登録しているという可能性もゼロではないと思った。同姓同名ということも考えられるが、その場合、相手は返信するだろうか。

さらに気になることは、間違いなく息子の春利だとしても、両親が離婚して母親に育てられたのに、今更何を言っているのだ、会いたくなんかないよ、と思っているかもしれない。妻・さなえは、碌に収入もなく転々と職を替えた桑田を優柔不断で生活力がない駄目な人間だと。稼いでこないくせに一人前に口をきき紐のような奴だと。確かに、看護師として働いていた年上のさなえの方が収入が良かった。夫としても父親として失格だったから、ああなったのだ。

フェイスブックでメッセージを送ってから2日になる。春利も、さなえと同じように父として根性のない人だ、今更連絡する必要なんてないと、返事をよこさないかもしれない。

1月29日、最後の日曜日、桑田は食パンにとろけるチーズに牛乳、それに生野菜で朝食を済ますと家を出た。

小田急の車内でつり革につかまり、目は窓外に向いていたが思いは沈んでいた。出がけにもメールは入っていなかった。

町田がアナウンスされ、電車が停車した。ドアが開いた。ホームの駅名が目に入った。乗客が入って来た時、桑田は乗り換えに気づいた。急いで表へとび出した。危なかった。

行く先は新横浜だった。

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2014/03/02

父からのメール

沢春利 様

別れて以来、ずっと気にかけていましたが、どうすることも出来ないまま時が過ぎてしまいました。

さなえさんが心臓の病気で亡くなったことは、3人で団地に住んでいたときの上の階の水上さんが賀状で知らせてくれたので知っています。春利の就職が決まり横浜のあの団地から名古屋の方へ転居したこともです。

しかし、それ以上のことは分からないまま、どうしたら会えるか悩んでいたのです。春利と一緒に行ったことがある新横浜の日産スタジアムへは、今でもよく一人で出かけています。あの頃、横浜国際競技場と呼んでいたけれど。憶えているだろうか、新横浜公園にあるあの円形の大きな建物を。

それで、インターネットは10年ほど前からやっていたので、春利のことを調べる手立てはないものかと検索していたのです。ここ数年、本名登録のフェイスブックが日本でも盛んになって来たので、ひょっとしたらと思い、私も登録してさがしていたところ、同姓同名もあるけれど、内容を見て、これが私の息子の春利ではないかと、「メッセージ」という機能で送ってみたのです。

写真画像は載せて無かったので、もし人違いの場合は大変失礼なことでお詫びしないといけないので、良かったら、一度お返事をいただけないでしょうか?

・・・

最後の「桑田荘太」という名と日付を確認した時、春利の目から涙がこぼれそうになっていた。

フェイスブックへ登録しておいてほんとうに良かったと思った。

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2014/03/02

父からのメール

春利は中野の叔母の家に3晩泊まり、朝9時頃家を出た。ディズニーランドへ行ってみようかと思ったが、一人ではさみしいと思いやめた。

東京駅でお弁当を買い、東海道線に乗った。一年前まで勤めていた名古屋支店はその日平日の通常勤務なので、静岡まで景色を見ながらゆっくり行こうと思った。時刻表だと3時間余りかかった。夕方の退社時間前に着けば良い。車内で弁当を食べた。ほどよい暖房でうとうとして気が付くと、まもなく静岡だとアナウンスがあった。

いったん北口駅前広場へ出た。空気はさほど冷たくなかったし、上海より空気が良いと思ったが放射能のことが頭をかすめた。新幹線の時間に合わせて周辺を歩いて回った。

名古屋で新幹線を下り、後輩の佐野にメールを送ってみた。10分もしないうちにこれから社に向かうと電話が入った。課長にも挨拶してと思い桑田も会社へ向かった。佐野と一緒に営業で回った日のことを思い出した。

名古屋のホテルで一泊し、春利は中部国際空港からプードン空港経由で上海の公寓へ戻った。土日を入れるとまだ3日休みがつづくので、気持ちにゆとりがあった。部屋で腕時計を合わせた。中国時間で午後2時前だった。

ソファに腰を下ろすと、名古屋支店の課長や後輩たちと食事したことを思い出した。パソコンの電源を入れた。立ち上がるのにけっこう時間がかかる。

やはりメールをチェックしてみる。

と、迷惑メールの間に漢字4文字の姓名があるのに気付いた。

「桑田荘太」・・

To Be Continued

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