2013/12/25

光る物体

陽は沈み辺りは暗くなりつつあったが、愛犬を連れている男女が広い芝生の中ほどに集まり、別の飼い主の犬の頭を撫ぜたり会話を交わしている。大小さまざまな犬種が追いかけあったりじゃれあったりしている。

桑田は、背もたれのないベンチに上向きに寝て首から上をベンチの端から垂らした。頸椎症を改善させるストレッチだ。病院で処方される薬は続けて飲むと副作用で胃が具合悪くなるため、脂質の代謝異常を改善し血液中の総コレステロールを低下させ血行もよくするという薬のみ処方して貰い、運動の方を心掛けるようにしていた。

スタジアムの方から再び歓声が上がり、ギターやドラム、ヴォーカルが不規則に響いている。ベンチの端から垂らした状態で、西の低空に金星が輝いているのが確認できる。

桑田は起き上がり、先ほど通ってきた中央広場側のレストハウスの方へ行ってみようと思った。草地広場を横切っていくと、高架道路下のスケボー広場の音が聞こえてくる。常夜灯もあちこちに点いているから、暗くなっても粘っている。

石段を上りレストハウス横のベンチへ行った。スタジアムから激しい楽器音が上空に響き渡る。

桑田は帰る前にそこでもストレッチをしようと上向きに寝た。

と、その時、スタジアム上空に小さな光る物体が現れた。

ヘリコプターだとゆっくり光点が移動していくし、飛行機だと複数の光が点滅しながら移動していく。

と、突然光が消えた。2秒ほどして、今度はずっと左で小さく光った。そしてさらに上空へ光点が飛んだ。

星だったら動かないし、流れ星だと光の尾を引く。空には雲もあるが、スタジアムからのスポットライトとは違うようだ。

桑田は、ネット上で、東日本の地震は人工的に引き起こされたというブログ記事が浮かんだ。UFOの近距離での目撃証言やアメリカでエイリアンがアメリカ軍にUFOの科学技術を教えている、といった動画を観たことを思い出す。

To Be Continued

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2013/12/24

光る物体

土曜日とあって平日より人出が多かったが、日産スタジアムへ向かう通りのように流れにのらないと歩けないほどの混雑とは明らかに違い、拍子抜けしたようなさみしさを覚えた。

桑田はレストハウスの横を通り遊具広場へ向かった。すぐ上の高架道路を走る自動車が目に留まり、そこが鶴見川の遊水地を利用した公園であることを思い出す。高架下を利用したバスケットボール広場も中学生くらいの子供たちでにぎわっている。

高架橋下を横切り、ドッグランを管理する別のレストハウスを右に見て舗装された道路を巡ると遊具広場だった。

幼かった春利の手を引いて来た頃、日産スタジアムが国際競技場と呼ばれていた当時は、その辺りが広大な公園になっていることを桑田は知らなかった。遊具広場もだいぶ後になって造られたに違いない。

鉄棒には30代と思われる女性が苦しそうにぶら下がり、側で幼い女の子が見上げている。桑田は公園内を巡る道路の脇にあるベンチに腰を下ろし、鉄棒の空くのを待った。

先に鉄棒でぶら下がり、次に背筋を伸ばす丸いポチポチの付いたベンチで背筋を反らし、それから公園の外周をウォーキングしようと思った。

鉄棒はすぐに空いた。母親は買い物をして夕食の準備にかからなければならない。まだ居たいという娘の手を引き、そうしたことを言っている。

「さあ、暗くなる前に帰るよ」
ぶら下がりを終えた桑田がベンチへ行った時、ネットクライミングをよじ登っている男の子や女の子を見上げて母親の声が飛んだ。

ちびっこ滑り台や砂場にも幼児がいたが、その日もネットクライミングに群がっている子が多かった。

ちびっこ連れの家族が次つぎと広場を後にし始めた時、桑田はテニスコートとネットが張られた野球場の間を抜ける舗装された道路を歩き始めた。向こうからジョギングでやってくる十数人の集団がコーナーを回って桑田の方に向かって走ってくる。路幅が広いので少し移動すれば彼らのコースを邪魔することはない。

彼らとすれ違い、今度は後ろからインラインスケートで両手にスキーポールを持った背の高い男が猛スピードでやって来た。外国人の若者だった。夏場にクロスカントリースキーの練習でもしているのだろうか。

コーナーを巡り、細長い大池のある辺りまで行った時、スタジアムの方からいっせいに歓声が響き渡った。何を言っているかは分からないが、マイクで叫ぶ声がする。しばらくして、バンド演奏とヴォーカルがスタジアムの上空に響き渡る。

To Be Continued

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2013/12/22

光る物体

桑田が新横浜駅に着いた時5時半を回っていた。そろそろ混み始めるだろうかといつも立ち寄るすき屋をめざして歩き出した。店は一晩中営業していたが、出来れば早目に食べてウォーキングで消化を良くしたいと思った。血糖値のことと胃腸の具合を考えてのことだった。いつもより通りを歩く人が多かった。

店内の見える近くの通りまで行った時ほっとした。空いている席が複数確認できた。昼食時は空席がないほど混んでいるし、夕方も6時前後から混み合うことを知っていた。

空いている席に滑り込み、ミニカレーセットに野菜サラダをプラスした。それでも500円以内ですむから助かった。待っている間に、持ち帰り客が二人続いてやって来た。一人は広告の図柄入りの団扇を手にしていた。

食べている客も牛丼単品客が多い。後からやって来た客の大盛り注文の声が聞こえる。隣りの客は、牛丼中盛の上に目の前の器に入った無料生姜を山のようにはさんで取り牛丼の上に押さえつけている。牛丼の並と中盛で100円違った。中盛と大盛は380円で、特盛480円、メガ610円であることを桑田は初めてメニューで知った。若い頃桑田も牛丼を食べたが、60過ぎてからは食べたいと思わなくなった。

表に出ると、急に通りが混雑してきた。そこで初めてスタジアムで何かイベントがあるのだろうと思った。横浜マリノスの試合ばかりでなく、音楽関係や学校関係の行事でも利用しているが、土日に当てていることが多かった。勤めを辞めてからは、土日や祝祭日の感覚がうすれていた。

そうか、土曜日だったんだ、と桑田はスタジアムへ向かう若者たちの列を横目で見て、サッカーの応援ではないだろうと思った。サッカーならチーム名入りのジャンバーとかを着ている客が必ずいた。

ノラ猫たちがいる川の周辺へ通じる道の近くまで行ったが、スタジアムへ向かうメイン通りには交通整理の人が配置され、どこまでも人の列が続き、川沿いのノラ猫たちがいる小さな林の道を歩く人も多かった。

これでは、人を警戒する猫たちは姿を現さないだろう。猫たちに会えなくても、新横浜公園内はウォーキング出来るからと、川沿いの道から遠回りして新横浜公園へ通じる方の道へ行くことにした。

新横浜公園の入口にたどり着いた桑田は、そこにある案内ボードに目をやった。桑田が聞いたこともない音楽バンドの名が書かれていた。交通整理があちこちに出ているほどの人出だから、若者たちに人気なグループバンドなのだろう。開演時間には30分以上あるが、人の列はまだまだ続いていた。


To Be Continued

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2013/12/21

光る物体

8月に入っていた。

前年の夏はひどく暑かったと、桑田荘太は思いだした。それに比べれば過ごしやすいのかもしれないが、妙にひんやりとした空気が国内にただよっているように思われた。気候というより奇妙な静けさだった。

ラジオからは、東北地方の復旧がまったく進まないこと、行方不明者の数などが流れていた。

桑田は、一番暑い時間をさけて家を出て、新横浜公園の方に行ってみようと思った。

昨夜スカイプで連絡があったサト子は、飼いはじめたラグドールの名は、「アイ」にしたという。

アイって、"love"の愛かと訊くとそうだという。ロバートが名前は「ネコ」で良いじゃない、と言ったということを思い出し、ロバートが付けたのかと訊くと、私が付けてロバートもOKしたから、と。

猫というと、桑田は新横浜公園の周辺にいるノラ猫のことが浮かんでくる。正確には日産スタジアムや新横浜公園へ行く手前の川の周辺にいる猫たちを指すのだが、桑田がその辺りへ引かれていくのは、一人息子の春利との思い出があるからだった。

桑田が川崎市麻生区にある家を出て、小田急線の駅へ向かったのは午後4時半頃だった。前の年に比べたら猛暑とは言えないまでも、真夏の西日が射すその時間、駅の近くまで行くとハンカチで額の汗をぬぐっていた。

到着した電車に乗り、空席があることでほっとした。節電のためかクーラーも弱めで桑田には適温だった。

町田でJRに乗り換えても、会社員の帰宅ラッシュは避けることが出来るだろう。座った状態で少し痛む右膝をさすった。

ドアに近い所に座っている30過ぎの男に目がいった。夏用のグレイで薄手の背広だったが紺のネクタイが決まっていた。

会社員と思われるその男がメモ帳を開いて何かチェックを始めた。

春利はどうしているだろう・・。


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2013/12/06

上海中山公園

7月も月末になり、春利が上海へ来て丸6カ月が過ぎようとしていた。

上海へ来て、通常の勤務が終わった後にしてきた週2度の中国語レッスンも終わることになる。

その日春利は、飛行機で上海から広東省の広州へ社内での中国語の講師でもある張 虹(チャン ホン)と営業に出かけた。

中国人が経営する有限公司で、自動車の部品を製造していた。春利が先方に勧めたのは、工業用シール剤・接着剤で、先方は部長クラスの者だった。専門の製品案内のため、張 虹(チャン ホン)の中国語の助けはほとんどいらなかった。

商談の後、二人はレストランで遅い昼食をすませ、広州空港から上海に向かった。

「上手くいって良かったね。きっとオーケーをもらえるでしょう」隣りの席の張 虹が流暢な日本語で言った。

「製品の説明が主だったから助かった」春利も日本語で応えた。

「怎么办了?」(どうしたの?)と、しばらくして窓の外に目をやっていた春利に張 虹が言った。

「有点那个」(ちょっとね)

春利の脳裏には、上海中山公園の葉桜の林で来未と会ったことが浮かんでいた。

夢なんかではない。あの時の僕は、アストラル界に入っていたのだろうか。

小さな窓の外は、雲か汚染物質かは定かでなかったが、青空ではなかった。

広州から上海までは1,189キロ。飛行時間は2時間15分くらいだった。


‎To Be Continued

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