2013/09/29

石和温泉にて

「あんたはどう思っていたかしれねえが、おれ、あの頃は若かったから、あんたがいなくなってショックだったぜ」
レジの方から戻ってきた久が言った。

「僕は、心を病んでいて、そうした余裕がなかったんだ。前にも話したことあったけど、母親が、僕が5歳のとき駄菓子屋の玄関先で、目の前で脳溢血で倒れたんだ。そのまま寝たきりの植物状態になって、8歳のときに亡くなってね。それから1年ほどして、兄嫁が来てね。親父は、母親代わりのようにと思って長男の嫁を見合いで決めたけど、ちょっといじめのような経験をしてね。1年くらいで出て行って、今度は、6年のとき、継母となる人が来てね。それから、ひどく心を病むようになったんだ。高校に入って、2年のとき入院して、退院後に教会へいくようになってあの神学大学に入ったんだけどね・・」

「ほうかえ、心を病んでいて・・」久は斜め下に視線を落として頷くように言った。

桑田は、寮での祈祷会でそのことを証しとして皆の前で話し、久もその場に居合わせていた。

「久君も、僕が復学してから授業に出てこなくなったからね」

久は桑田から視線を逸らせたまま黙っていた。その後、一般大学並に学園紛争が起こったが、久は桑田が4年を卒業する半年くらい前までは寮にいたようだったが、次に久と会ったときは、卒業式が終わった後で、久が寮を出た後借りていたアパートの一室だった。

桑田はふと表に目をやった。2時前だったが、辺りが暗くなっていた。雷雨が来るかもしれない。震災があったその年、早い梅雨入りだったが、7月になったばかりでまだ梅雨明けはしていなかった。節電とはいっても、店内は電気がついているし、クーラーが効いていたから蒸し暑くはなかった。

表に目をやっていた久が桑田に目配せして立ち上がった。

「それじゃあ、ちょっと辺りを案内するで」

雨が降る前に、と言いたかったのだろう。桑田は財布を出して久の後に従った。

「払いはもうしてあるから」久は振り返って言った。トイレに立ったと思ったが、精算しに行ったのか。桑田は千円札を久に渡そうとした。

「いいよ、ここまで来てくれたんだから」久は受け取ろうとしなかった。久は先に外へ出て車の方へ向かった。

桑田はトイレをすませ、ドアを押して表に出た。

蒸し暑い空気がどっと襲ってきた。


To Be Continued

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2013/09/26

石和温泉にて

「おれ、週5日、介護施設で働いているんだ。休みの日は固定してないけど、ローテーションで、たまたま今日は休みだったんだ」

久と面と向かって会うのは40年ぶりだった。桑田はしきりと眼を瞬かせている久の目元に視線が行った。

「じゃあ、運が良かったんだね。施設ってどんな」

「認知症の人がほとんどだよ。車椅子の人とかも・・」

桑田は、休学して千葉の身心障害者の施設で入浴介助をしたことを思い出した。

午後1時を回り、二人はオムライス定食を注文した。

「この前の賀状で、民生委員やっているってあったよね」

「やっているよ。年間6万円くらいもらうけど、そんなもん、慶弔費や交通費でなくなっちゃうよ。結婚祝いとか、一人五千円包むから。家では、年寄りの介護もやっているし」

塚原になり、奥さんの親と同居していて、男親の面倒をみているのだろうと桑田は思った。食事やトイレや入浴介助など、家に帰っても施設の延長をやっているのだろう。

「久君も、養子に入って苦労したね」

「我慢よ、がまん・・」

45年ほど前、久は桑田と一緒に神学大学に高卒ですぐ入学した。桑田が2年目に休学して施設で1年ボランティアを終えて復学してみると、今度は、久の方が授業に出てこなかった。同じ寮にはいたのだが、アルバイトに出かけているようでめったに顔を合わすことはなかった。たまに廊下で会っても、どちらからともなく視線をそらせていた。

桑田はスプーンでせっせとライスを口に持っていったが、久は半分残し、スープの器を口に運ぶのだが、一口飲んではテーブルに戻していた。

久がゆっくりと席を立った。介護で腰を痛めたのか前傾で不規則な足取りだった。


To Be Continued

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2013/09/20

石和温泉にて

「久君、どうも、桑田。今、石和温泉の駅にいるけど・・」

桑田荘太は、一回り年上の姉・菊子を見舞った帰りに、篠ノ井線の坂北駅から松本へ出て中央線の石和温泉で降りた。長兄から連絡を受けてのことだったが、菊子はパーキンソン病のほか複数の病に侵され、臥したきりで自分では上体を起こすことも出来なくなっていた。

特急が松本駅を発車した時、桑田は久君に連絡してみようと思った。都合が良ければ会えるかもしれない。その日の朝早く川崎の家を出る時、バッグにポケットノートを突っ込んできたのだ。そのノートには上島久の住所と電話番号も記してあるはずだった。諏訪の郷里には数年に一度、親族の誰かの冠婚葬祭でもなければいくことがなかったから、その機会を逃せば、もう会うことはないかもしれなかった。

「大丈夫、ちょっと時間かかるかもしれねえけど、車で行くから待っとって」

年賀状のやり取りはあっても、電話で話すこともまれだった。どこかで働いていても携帯番号が生きていればつながるかもしれないと思った。携帯番号も数年前のもので駄目かもしれないと思ったが、数回コールすると運よく声が返ってきた。声ですぐ久君だと分かった。

桑田が久君というのには、親愛の情というのもあったが、彼が婿養子に入ったと年賀状で苗字が変わったのを見てからだった。「塚原」というと、別人のようだし、学生のときから上島君、桑田君の仲だった。一度、塚原君と言ってみたが、違和感があったので、久君、と呼ぶようになった。

30分ほど待たされたが、新しいとは言えない久の軽自動車が駅前に現れた。パンチパーマがかっているが白髪を染めたような感じで、だいぶ視力が落ちた疲れた顔が車から出てきた。

「突然で悪かったね、ちょうど長野の姉を見舞ってね」

桑田は、駅前にあるイオン店内の飲食店で久と向かい合って座っていた。


To Be Continued

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2013/09/14

石橋梨花と

「来未は、沢さんのいる上海へ行けばよかったんだわ」一口飲んだコーヒーカップを戻した梨花の視線がふたたび春利に向けられた。

春利はいったん視線を合わせたが突いて出る言葉がなかった。上海へ行く前に結婚式をあげ、来未を連れていくことは出来なかっただろうか。相談すれば、会社も認めてくれたように思われる。やっていかれるという自信がなかった。もう少し様子を見たかったのだ。

「沢さんは、来未と結婚する気はあったのだぁ~か?」

「すみません。もう少し状況が落ち着いたらと思って」

「落ち着いたらって?」

「収入面でも精神的にも、やっていかれるっていう確信みたいなものが欲しかったんです。今更と言われそうですが、上海へ行く前に思い切って結婚式をあげて、連れていけばよかったと思います」

「気持ちとしては、来未がどこかで生きていてほしいと思うけど、両親もだけど、あの地震から一カ月以上も連絡が取れないということは・・」

「申し訳ありません」

「いえ、私の言いすぎですね。今度のような巨大地震があの日に起こるとは。津波も原発も、ほんとうに突然のことで。それは沢さんの責任ではありませんから」

それにしても、来未があの日福島へ帰りたくなったのは、自分が原因していないとは言えない、来未は自らの将来に不安をいだき、両親の顔を見たかったのかもしれない・・。

「沢さん・・」今度は梨花が手を差し出すジェスチャアで春利に目の前の食事をうながした。


To Be Continued

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2013/09/08

石橋梨花と

「ラジオのニュースを聴いていて、もしやと思い、調べてみて、来未のお世話になっている会社の吉田沙希さんと、上司の安藤さんから安否確認が入っているのを知って連絡したのは、地震から5日たってからでした。両親は家ごと津波に飲み込まれたのではと思うけど、とにかく来未に連絡しようと思ったけど、電話には出ないし、連絡取ろうにもどうしたら良いか分からず、埼玉にいる叔母と相談していたんですが」

届いたミックスフライのパン付セットを前に、梨花はハンカチを目に当てながら言った。

「ほんとうに・・。では、来未さんがあの日福島に帰省したことを沙希さんから聞くまで知らなかったのですね。僕も、連絡を取っていたのですがつながらなくて、そうこうしているうちに、沙希さんが安藤課長に知らせてくれ、宮里上海支店長から電話が入ったんです」

「食べましょう」梨花にうながし、春利はミックスフライのライス付にフォークを持っていった。

「結局、僕も梨花さんも、話しが出来る親がいないんですね」

「沢さんは、ご両親とも・・」

「両親は僕が5歳になったばかりのときに離婚して、僕は母と横浜に大学生の時まで住んでいたんですが、名古屋の今の会社に就職してまもなく母は心臓病で亡くなったんです」

「それじゃあ、お父様は?」

「その後、連絡が取れていないので・・」


To Be Continued

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