2012/06/27

夢か啓示

パソコン画面に現れたマリアのことは、会社が始まる前日になっても春利の意識に浮かび上がった。忘れようと努力したわけではなかった。嫌なことは意識的に忘れたいと思うことは今までにもあったが、そうではなかった。

父がいたと母から聞いた5歳までの間に、イエス・キリストや神について絵本などで読んで聞かされた記憶も浮かんで来なかった。ただ、以前偶然ネットで観た「秋田のマリア」のことは、思い出すことがあった。

しかし、そんなことはまったく忘れていたのに、意識的に検索したわけでもないのに、あの日パソコン画面に現れた。夢なんかではなかった。春利はノートパソコンの前にいた。クリックはしていたが、その瞬間どこかのサイトが開いたのではなかった。

最初どこかのサイトが開いたと思った。その間2、3秒画面からすべてが消える空白の瞬間があった。サイトのリンクが開く時とは様子が違っていた。タイトルバーもアドレスバーも、周囲にはバーなどなかった。あのような画面を表示させることはできない。あの瞬間、そう、電池のランプ表示が消えていたかもしれない。

教会や家にあるマリア像の目から涙が流れ出たとか、、石膏製のキリスト像の手から血が流れたという記事はネット上で見かけたが、パソコンにマリアが現れ涙を流したのだ。

春利は、なんらかの願いがそのような形になって表れたのだと思いたかった。だから、自らの外に追い出してしまおうとはしないでキープして行こうと思った。
その時点では、その後に起こることなど予想出来なかったのだから。


To Be Continued

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2012/06/21

夢か啓示

31日の夕方会津若松へ帰省した来未からメールが入った。

春利は新幹線で名古屋へ向かう車内でそれを確認した。

内容から、来未は家族団らんを楽しんでいるようだった。一人っ子でほとんど母子家庭で育った春利は、自らに与えられた環境を受け入れていた。というより、中学、高校と学年が進んでいくに従い、どこか摂理のようなものを感じていた。就職して母が病死した後はとてもさみしかったが、それが自らに与えられた道なら受け入れて強く生きて行こうと思った。

だから、元気でやっている。僕のことは心配しないで家族の団らんを楽しんでくるように、メールありがとう、と来未に返信することが出来た。

年が明けて2日目、春利はスーパーにおせち料理のセットを買いに行った。帰ってきてテレビで歌番組を観た後、パソコンでネットサーフィンを始めた。いつしかアパートの外は日が陰っていた。

春利はふと意識が遠のいていくようになり、マウスに当てていた指先から力が抜けていた。

ソファに掛けた状態でしばらくまどろんだのだろうか。

パソコンの画面には、マリアの像が大きく映し出されていた。

あれ、どうしたんだろう? 春利は、日頃これといってマリア信仰を実践しているわけではなかった。

知らぬ間にクリックしたのだろうか。画面のマリアは春利を見つめていた。深い眼差しだと春利は思った。

マ、マリアさま・・春利は心でつぶやいた。内から言いあらわしようのない感情がわき上がってきた。

マリヤさま、と春利は思わず声に出して言おうとした。

と、マリヤの二つの目の端から涙がこぼれて頬を伝って落ちた。


To Be Continued

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2012/06/06

日産スタジアム

桑田は、以前来たときガードマンが立っていた大きなビルの横の歩道を歩いていた。腹は空いていたが、若いころのような空腹感とは違っていた。特に腰の辺が重く、食にありつくために一直線というのではなかった。
確かに腹は空いているが、体は思うように進まないしあきらめにも似た思いが身体の芯にあるようなだるさがあった。

車道を横切り、その歩道をまっすぐ駅の方に行けば目当ての飲食店があった。師走の最終日だと思わなければ、人通りが少ないだけだが、31日だと思い出すと、どこか落ち着かない思いに襲われた。

駅の方からライトバンがやってくるのが見える。後ろから、前に買い物かごが付いている自転車で首にスカーフをまいたスカート姿の若い女性が追い抜いて行った。

桑田は、父のこぐ自転車の荷台に乗り、尻が痛かったことを思い出した。その頃の自転車の荷台は正方形に近く、ガリガリに痩せていた桑田荘太の尻に金属の格子が食い込んだ。年末の買い出しに、父は学校に上がる前の荘太を乗せて行った。母は脳出血で臥していて息はしていたが会話は出来なかった。

荘太も父に言われ、母の寝床の尿瓶を手に取り、表の便所に捨てに行ったことを憶えている。何とも言えない鼻を突く臭いとともに。駄菓子屋で荘太の眼前で倒れてからというもの、その頃の母は一度も起き上がることはなく寝息を立てて横たわっているだけだった。

近寄ってはいけないと父や兄弟に言われた記憶はなかったが、ただ近寄らない方が良い存在として意識され、心の通った母としてではなく、近寄ってはならない怖い対象として8畳間の隅に横たわっていた。

あれが、父の自分への愛情だったのだ。げんこつをもらい、いくど泣いたことだろう。しかし、幼い末の息子を自転車に乗せて出歩いたということは、父の愛情だったのだろう。

いつもだと人通りの多い歩道だったが、さすがに店のシャッターも降りていて、人の姿もちらほらだった。

前方に年中無休の飲食店の看板が見えてきた。


To Be Continued

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